覚醒
人生は選択の連続です。私たちは日常の些細な事から、人生を左右する重要な事まで常に何かを選択しながら生きています。しかし現実にはなんの迷いもなく簡単に全てを選択できる訳ではなく、むしろ悔いのない選択をしたいと思う程、悩み苦しむものです。特に今の時代は、良くも悪くも何でも自由すぎる時代です。全てが緩和とボーダレス化によって、いろいろな常識と価値観が入り乱れています。そんな時代に確信を持って物事を選択するのは中々難しいでしょう。どんな選択であっても、どんなに人から助言されても最終的には自分が決断しなければ悔いのない人生は送れないでしょう。自分に納得のいく決断をするには、自分の信念に従う事が必要ですが、その信念は自分の確かな価値観に支えられています。
抽象的な言い方になりますが、私の中にある価値観は、外部からの強烈な感動やカルチャーショックによる衝撃が心の中に眠っていたある感覚と共鳴し、それらが明確になり確信に繋がっていったものの蓄積によって出来上がってきたように思います。だから自分の求めているものや、こうだと思うことは、心の一番奥のほうでは、自分でも気付かないうちに既に存在していて、それに気付かず確信がもてないうちは迷い続けるのです。
いろいろな価値観や常識に出会うと、それらによって次第に自分の考え方や行動の仕方というものが浮かび上がってきます。
私の場合、アメリカ人と接し、その中で自分という存在を照らし合わせる機会を得たことで、自分を客観視する視点を持つ事が出来ました。そこに一度気付くと、それは自分の生い立ちを辿るように次第に深さを増していきます。つまり、自分自身の内面に意識が向きそれまで気づかなかった自分を自覚します。
アメリカ人と日本人を比較するとき、アメリカ人は、自己主張が強く、その代わり他人を干渉しないことでバランスを取っており、それに対して日本人は自己主張せず、他人といつでも同調しようとする、という事をよく言われますがその様な事は、日本にいて日本人とだけ接していては中々実感しにくいですが、アメリカ人と接していると確かに気付かされる部分があります。
アメリカ留学生活も終わりに近づき、そろそろ進路について考えなければならなくなった頃には空手がすっかり私の生活の中心になっていました。
私の大学での専攻はフォトジャーナリズム、つまり報道写真でした。私も一時はロバートキャパや一ノ瀬泰三氏などの撮った写真に憧れ、自分にはこれしかないと思いフィルムと一眼レフを肌身離さず持ち歩いていたものです。
しかしその一方で近所の町道場で地元の人達と空手の稽古に打ち込む生活の中で、私は次第に自分のアイデンティティーというものを強く意識するようになっていきました。
その道場の正面にはアメリカと日本の国旗が並び真ん中に「武士道」の文字が掲げられてありました。
道場には大人、子供、男性、女性、白人、黒人、ゲイ、とにかくいろんな人が通っていました。レベル分けすることはあってもクラス分けする事はなく、みんなが一斉に先生の号令に合わせて稽古していました。
そんな彼らが魅せられた空手の魅力とはなんなのか?一体、空手に何を求めているのだろうか?当然この様な疑問は、やがて自分に向きます。空手を通してアメリカ人と交流し、日本人としての自分という自我に対する一つの客観的な視点が一層はっきりとした輪郭を帯びてきました。この様な自分に対するアイデンティティーの覚醒は、自然な流れで自分の祖国の文化に対して誇りを持つ様になり、生まれて初めて武道というものを追求していきたいという気持ちが芽生えてきました。
時津先生と出会う一年前のことです。

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抽象的な言い方になりますが、私の中にある価値観は、外部からの強烈な感動やカルチャーショックによる衝撃が心の中に眠っていたある感覚と共鳴し、それらが明確になり確信に繋がっていったものの蓄積によって出来上がってきたように思います。だから自分の求めているものや、こうだと思うことは、心の一番奥のほうでは、自分でも気付かないうちに既に存在していて、それに気付かず確信がもてないうちは迷い続けるのです。
いろいろな価値観や常識に出会うと、それらによって次第に自分の考え方や行動の仕方というものが浮かび上がってきます。
私の場合、アメリカ人と接し、その中で自分という存在を照らし合わせる機会を得たことで、自分を客観視する視点を持つ事が出来ました。そこに一度気付くと、それは自分の生い立ちを辿るように次第に深さを増していきます。つまり、自分自身の内面に意識が向きそれまで気づかなかった自分を自覚します。
アメリカ人と日本人を比較するとき、アメリカ人は、自己主張が強く、その代わり他人を干渉しないことでバランスを取っており、それに対して日本人は自己主張せず、他人といつでも同調しようとする、という事をよく言われますがその様な事は、日本にいて日本人とだけ接していては中々実感しにくいですが、アメリカ人と接していると確かに気付かされる部分があります。
アメリカ留学生活も終わりに近づき、そろそろ進路について考えなければならなくなった頃には空手がすっかり私の生活の中心になっていました。
私の大学での専攻はフォトジャーナリズム、つまり報道写真でした。私も一時はロバートキャパや一ノ瀬泰三氏などの撮った写真に憧れ、自分にはこれしかないと思いフィルムと一眼レフを肌身離さず持ち歩いていたものです。
しかしその一方で近所の町道場で地元の人達と空手の稽古に打ち込む生活の中で、私は次第に自分のアイデンティティーというものを強く意識するようになっていきました。
その道場の正面にはアメリカと日本の国旗が並び真ん中に「武士道」の文字が掲げられてありました。
道場には大人、子供、男性、女性、白人、黒人、ゲイ、とにかくいろんな人が通っていました。レベル分けすることはあってもクラス分けする事はなく、みんなが一斉に先生の号令に合わせて稽古していました。
そんな彼らが魅せられた空手の魅力とはなんなのか?一体、空手に何を求めているのだろうか?当然この様な疑問は、やがて自分に向きます。空手を通してアメリカ人と交流し、日本人としての自分という自我に対する一つの客観的な視点が一層はっきりとした輪郭を帯びてきました。この様な自分に対するアイデンティティーの覚醒は、自然な流れで自分の祖国の文化に対して誇りを持つ様になり、生まれて初めて武道というものを追求していきたいという気持ちが芽生えてきました。
時津先生と出会う一年前のことです。
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2010-09-12 19:03
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押領司様
ご無沙汰しております。
覚えてらっしゃらないかとは思いますが
押領司さんが一時期研究のために通われていた
池袋の道場でお会いし数回お話した者です。
その時も押領司さんから時津先生のお話をお伺いしており
その後も押領司さんご活躍をネット上で拝見しておりました。
先日たまさか
渋谷にある取引のある制作プロダクションさんで
武道の話をしていたら
その会社の経営に関わる方が
自成道の後援をしていると聞き
世界は狭いな。と感じ
いまこのようにコメントをしております。
映像等を拝見して
体に無理のない
流れるような動きに感銘しております。
水の入った柳のようですね。
大変な修行をされたんですね。
私はD塾に所属する傍ら
太氣拳・ヨガを修行しております。
押領司さんを見習い
生涯武道を実践し全うしたく思います。
今後のご活躍楽しみにしております。
ご健勝を!
by 谷川 (2010-09-14 13:20)
谷川様
コメントを頂き、有難うございます。
ほんの少しですが思い出しました。
お話しした時、気功についていろいろ教えて頂いたような記憶があるのですが、、、
違ったらすいません。
武道が谷川さんの人生を幸せにするものでありますよう、お祈り申し上げます!
by ケン (2010-09-15 22:34)