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文と武 [内弟子日記]

 時津先生は引越しの時にかなりの本を失くしてしまったそうですが、それでもまだ御自宅には書店を一軒構えられるほどの量の本があります。文武両道に生きてきた先生のその強烈な意識は、やがて師の下を離れ独立独歩の道を歩くエネルギーとなり自成道という形で現在に至っています。
 その弟子としてもただ武のみに自分のエネルギーを注げばいい訳ではなく文の分野においても高い意識を持っていなければなりません。ある日、日本の格闘技界の状況について私は先生からいろいろ質問を受けしっかりと答えられずに注意された事がありました。「いろいろな人達や団体がいろいろな形で情報を発信しているが、それはそれぞれに皆一所懸命やっているからです。今誰がどのようなレベルにあり何を言っているのか、武の道を歩む以上それらについては常に把握しておかなければなりません。」このような訓えの下、私は先生から定期的に「この本を読んでおきなさい、その次はこれ。」といろいろな本を渡され、また映画ニュースを見ながらそれらについて意見や感想を求められることもしばしばでした。前回お話しした合宿中のプレゼンテーションもその一つだった訳です。
 自成道によって私自身が最も大きく変わったのは、もしかするとこの知的な分野に対する意識かもしれません。自成道の「自成」という言葉は、自ら成し、それによって自らを成す、という意味を込めて時津先生自身が採り入れられた言葉です。自ら成す。自分で考える。自分でやる。伝統として継承されてきたものも含め、様々な情報に対して何でも無条件に受け入れるのでなく、先ず自分の追い求めるものを明確にした上でそれに照らし合わせ検証するという姿勢を持ちながら進んで行くというものです。それはまさに先生の辿って来られた道そのものであり、私達が日々追い求めている道です。
 このように自成道の実践を通じて改めてこの文武両道という言葉について考えてみると、武道の実践内容に既に「文」の要素が必然的に存在しているという事に気づかされます。つまり、武道とは一生涯かけて自分を武的に高めていこうとするものだと捉えて実践するならば、一度きりの人生で目を瞑って闇雲に突っ走るようには進めません。ある意味の慎重さを持ちながら、出来るだけ自分を的確に客観視し工夫しながら進んでいかなければならないのですが、その過程で必然的に文の領域に入っていくことになります。文武両道とは、現代では勉学と運動をバランス良く行う事の奨励やそれに対する評価に用いられたりしますが、文と武を二つの別の分野として形式的に取り組んでいるうちは、そこに繋がりを持たせる事は難しいでしょうが、武道に於いてそれを深める上で自然にその領域に入っていった場合には、文と武に密接な繋がりができ効果的なフィードバックが起こります。そこにまた一つ武道の特性があるのかも知れません。

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